何にも縛られちゃいない だけど僕ら繋がっている

秋から冬にかけての気温が徐々に下がっていく季節は,どうも苦手だ.そういう風に思い込んでるからそうなるんだ,とスーパーな上司は言うが.
先週も,ニュースではいじめの問題や若者の貧困の問題を取り上げていて,そういう問題の渦中にいる人から比べれば,今の自分の置かれた境遇はものすごく恵まれているのだろう.安定した仕事と収入があるわけだから.それでも,何とも言えぬ疲労感を引きずりながら日々生活している.

それなりの大きさの会社組織にいると,何年かに一度,これから長期的にどうしていくのか,その中で自分はどういう立場・責任で取り組んでいくのか,のようなことを集中的に考える(考えさせられる)機会が巡ってくる.ここ2ヶ月ほどこれをやって,ようやく半月ほど前にひと区切りついた.考えて周囲に表明したことのほとんどは,周囲から見れば望まれるものだっただろうが,自分にとってはほぼ嘘である.そういう周囲から望まれるような考えを示す時,当然のことながら歓迎され,自分の中にも誇らしさと言える感情が沸き起こってくるのが感じられる.しかし,自分にとっては嘘なのだから,その誇らしさも時間の経過とともに,それも思ったよりも急速に冷めてしまう.これが何とも言えぬ疲労感の原因の一つなのだろうと思う.

仕事というのはとても多面的なもので,長期的なビジネスとしての視点から,ごく身近な周囲の人たちとの人間関係や共同作業に関わる達成感と言うようなレベルまで,本当にいろいろある.上に書いた『嘘』に起因するのは,長期的なビジネスとしての視点を中心としているように思う.今,製造業の末端で,製造業を支援するような仕事をしているが,これについては,長期的な夢や憧れ,はたまた熱中の対象としてのイメージは描けない(当たり前だがこれはあくまで,個人的な考えや好みによるものなので,誰でもがそうだというわけではない).
ビジネス視点とは反対の人間関係・共同作業については,経験の長さに応じた愛着もあり,簡単には失いたくない部分である.ただ,自分の中でこれだけ矛盾が広がってくると,そうとばかり言っていられないかもしれない.

こんな状態の中,1年ほど前からブログを書き始めた.自分がいったいどんなことを書くのか,興味を持つのかを第三者的に見ていたのかもしれない.読んだ本,新聞記事,テレビのニュース,何かの集会・講演,そういったものに触れて何を書くのか,それを記録しておけば,後から振り返ることもできる.ずいぶんグチャグチャな文章もたくさん書いたが,それなりに,いやかなり役に立った.もう次の段階へ進んでもいい頃なのだろうと思う.

今ある環境に感謝して一生懸命取り組むもよいし,不安を振り切って新しい環境に飛び込んで何かを始めるのもよいのだろう.きっと周囲からは,感謝知らずだとか逃げたとか中途半端だとか,いろいろ言われるだろう.自分でもそう思うところはたくさんあって,だからこそ迷っている.でも,一人一人が心の底からやりたいと思うことを見つけて,それに取り組んでいくことこそが大切なんだ,とも思う.ものすごく偉そうな言い方だが.
「一人一人に自由を与え過ぎたから,日本は駄目になった」などという人もたくさんいるが,全く逆ではないかと思う.心の底からやりたいことと,外部からのおかしなメッセージに踊らされてやることとでは,全く違うはずだから.
何にも縛られちゃいない
だけど 僕ら繋がっている
どんな世界の果てへも
この確かな思いを連れて
(Mr.Children "Worlds end" 詞:Kazutoshi Sakurai)

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# by ntomomitsu | 2006-11-26 15:44

親や環境は選べない?

5月に入って,DVDで金八先生の第六シリーズを順に見ています.いろいろな環境に生まれたいろいろな子達が出てきます.ほとんど負けちゃってるような子もいるけど,それでもその中で頑張って日々過ごしている.死ぬかもしれない病気にかかってしまった子,犯罪被害者の家族でありながら,犯罪加害者の家族でもある子,生まれ持った障害(というのがよいのか疑問ですが)と闘っている子,親や兄弟との関係....そういう子達を見ていると,もちろんフィクションではあるけど,そういう環境や条件を背負って生まれてきたこと,そういう何かに出会ったこと自体に,尊敬というかそんな気持ちを感じます.スピリチュアリティ(日本語だと霊性と言いますが)の先生たち(??)は,親や環境は自分で選んで生まれてくるんだ,とも言っていて,そういうのもあわせて,そんなことを感じます.
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# by ntomomitsu | 2006-05-23 00:15

平田オリザさんの講演を聞いて(夕学五十講)

演劇と私たちの生活がこれほど密接なものだとは思ってもみませんでした.演劇は,他者がどんな気持ちでいるのかを真剣に考えることの繰り返しだから,言われてみれば当たり前なのかもしれないけど,そういうことを平田さんはコンテクストのズレをすり合わせると表現されていました.
アメリカでは,演劇を学んだことはキャリアパスの一部になるけど,日本では,演劇なんか学んだら就職先がない....
夕学で講演を聞いた後,帰宅途中のジュンク堂で講演者の著書を検索して購入するのが習慣になっています.今日は,平田さんの『「リアル」だけが生き延びる』という本を購入してきました.まだ中身はほんのちょっとしか読んでいないけど,表紙に10行ほど書いてある中に,
「私とあなたとはこんなに違うけど,一つの共同体がつくれますか」.演劇をつくることは,自己と他者を峻別するこの問いから始まると著者はいう.
とあります.ものすごくグサッとくる言葉です.最近,失われた10年なんて言い方もされる中で,価値観や買いたい物もバラバラになってきました(昔は,炊飯器,冷蔵庫をみんなが一致して欲しがって,手に入れることで幸せになっていた).そういう中で,“すぐには”,“はじめからは”分かり合えないことを前提として,共通するものを見つけ,それを少しずつ広げていけるか,そんな姿勢への転換ができるかが,これからは重要というお話です.例えば,パレスチナやイラクの人の気持ちは分からなくても,分かろうと努力する姿勢,,,,なんだか靖国問題に絡む我が国首相の話を思い浮かべてしまいました.平田さんに,その辺りの質問もしてみたかったけど,講演主旨からは外れるので,やめときました.逆に,分かり合えることを前提にすると,キレイな話では歩けど,どういうことを考えているか分からない人を排除することにつながり,それは結局はムラ社会に戻ることになるということも話されていました.

コンテクストっていうのは文脈という意味ですが,平田さんが話されていたのは,もう少し深い意味で,その人がどんな意味でその言葉を使っているか,一人一人の個性が現れる部分,ということです.典型的に言えば,職場で上司と部下のコンテクストがずれている時に,上司が部下に対して「こんなことも分からないのか」なんてことを言うわけで,コンテクストのズレを,権力によって正邪・優劣・善悪の問題(もちろん上司が正しくて部下が間違っているという形)に変えてしまっている.何か問題があったときには,コンテクストのズレを念頭において=自分のコンテクストが理解されていないことを前提に,原因を追及する必要があるというお話でした.職場内の対話で言えば,上司が持っている権力を手放して,対話の場を作ることが対策の第一で,それを通してそのような対話の言語を生み出し作っていく必要があると言う話でした.自分の職場も思い浮かべつつ,納得.

質疑応答の時の回答で,こんな話もされていました.上司が対話の場を作ろうとしないような職場では,自分が変えようと背負い込まず,逃げていいんだと.自分がというのが強迫観念になってしまっては,対話も成り立たないからという理由だそうです.ではどうするかについては,本質を理解して,そういうことに敏感になればよい,という答えでした.肩のあたりが少し楽になるような,そんな言葉です..
講演について詳しくは,「夕学五十講」楽屋Blogにてどうぞ.
先月に聞いた茂木さんの脳のお話もそうだし,今日の平田さんの話もそうですが,全然違う分野の人のお話なのに,妙に根っこの部分がつながっていて,
またかよと自分に突っ込みつつ,以下引用で結びとしておきます.
左の人 右の人
ふとした場所できっと繋がってるから
片一方を裁けないよな
僕らは連鎖する生き物だよ
(Mr. Children "タガタメ" 詞:桜井和寿)

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# by ntomomitsu | 2006-05-16 22:59

ダライ・ラマ法王

いくらいいこと言っても暴力で解決じゃねぇなんて考えていたら,チベットのダライ・ラマ法王のことを思い出しました.前に観た龍村仁さんの地球交響曲第二番にも出演されていらっしゃった.
前のダライ・ラマ13世の生まれ変わりとして2歳で探し出され,4歳で14世として即位され,その後,チベットからインドへ亡命して亡命政府を樹立.チベットの独立を訴えるものの,武力を使うことはなく,1989年にはノーベル平和賞を受賞.
こんな言い方は変かもしれないけど,よく笑うし,見た目も普通のメガネをかけてて短い髪で,元気のいい近所のおじさんのようにも見える.自分が特にすごい能力があるというのでなく,みんなも同じだと言っていて,もしも直接お会いする機会があったとしたら,ごく普通に話しかけてくれそうな感じがします.
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# by ntomomitsu | 2006-05-14 20:05

Stillness Speaks

原題はこんな素敵な感じなのに,日本語訳として出版されたタイトルは
世界でいちばん古くて大切な
スピリチュアルの教え
という,なんだかなぁな本を,GW中に読みました.

格言集のような禅問答のようなそんな本ですが,静けさの奥に叡智があり,恐怖や,周囲に対して貼るレッテルを手放すことで,本当の自分を見つけることができる,ということを説いています.いつもながら,後は印象に残ったところを引用して...:
 人生の状況を「調整」しても,平和を見つけることはできません.平和は,もっとも深いレベルにある「本当の自分」を認識することによって,はじめて見つけることができるのです.

 「批判を手放す」ということは,相手の言動を,見て見ぬふりをする,という意味ではありません.相手の言動を,条件づけによる言動として認識すること.・・・すなわち,相手の言動に基づいて,その人のアイデンティティをつくりあげない,ということです.

 いうまでもなく,究極的には,「他人」など存在しません.私たちが会っているのは常に「自分自身」なのですから.
(エックハルト・トール著,あさりみちこ訳,徳間書店)

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# by ntomomitsu | 2006-05-09 01:20

地球交響曲 第二番

先週の第一番に続いて第二番を観ました.第五番まであるので一気に観たいと思う反面,贅沢に1つずつ観ていこうと思っています.映画の冒頭で,龍村監督のメッセージとして,
多様なものが,
多様なままに生きる.
それは生命の摂理であり,
宇宙の摂理である.
と画面に現れます.

宇宙交響曲のことを初めて知ったのは,5年ほど前,瞑想を習いに行った先生の部屋ででした.テレビの下に「ガイアシンフォニー間奏曲」という本が置いてあったのを手にしたのが最初です.他にもいくつか本があった中で,この本が印象に残ったのは,目次をめくっているとセナについて書かれていることに気づいたからです.第二番を観ると,これが撮影されたのが1994年であることが分かりますが,これはセナが事故で亡くなった年です.この本によると,龍村監督は,セナが亡くなる直前,彼に出演交渉をしています.セナが亡くなった後,しばらくは見えないセナを撮ろうと考えていたようですが,結局断念したとのことで....
たまたま手に取った本に,セナのエピソードが出てきて印象に残り,結果としてこういう映画に出会えたわけで,世の中うまくできてるものだと思ったりします.
上の本にはセナの言葉もちょっと出てきています.
神は,神自身の力を僕に与えたのではない.
力は僕たち一人一人の人間の中にある.
神はただ,
その力が存在するという啓示を
僕に与えてくれたにすぎない.

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# by ntomomitsu | 2006-04-29 23:45

脳と仮想,イリュージョン

茂木健一郎さんの講演を聞いた後,玄耕庵日乗さんにTBもいただいていた『脳と仮想』を読んでいます.私が見て感じる赤を,隣の人も同じように赤として感じているかは確かめようがない.目の前の現実として認識している机の上のコップも,視覚や触覚を通して感じられるだけで,それが本当に現実なのかは確かめようがない.過去も未来も同じように,記憶と言う脳の仕組に支えられた仮想に過ぎない...そういう前提をベースに本は進んでいきます.仮想はたった1リットルの脳の中の活動として起こるだけのものだという前提に立っているところは,まさに科学者ですが,それ以外は,哲学者のような宗教を語る人のような不思議な文章が続きます.

出張の新幹線,往復3時間ほど読み続けた後の帰りの本屋さんでは,私の好きなリチャード・バックの「イリュージョン」が新訳として出版されていました.「イリュージョン」はこの世のすべては光と影が織りなすイリュージョンであるなんてことをベースにしたファンタジーで,茂木さんの本と近いような遠いような.新訳には,リチャード・バック本人による前書きも載っていて,本人はこの本に書かれていることを本当のこととして信じていると書いています.ちょっと引いてみると,吸血鬼に血を吸われそうになって抵抗したリチャードに対して,救世主ドナルドは,
「・・・どんなことであれ,傷つくか傷つかないかは,本人が選択することだ.決めるのは本人なのさ.ほかの誰でもない.・・・苦しむのは,彼が決めること,彼が選択することなんだ.そのことできみにできるのは,血をあげるか,無視するか,縛り上げるか,ヒイラギの杭を彼の心臓に打ちこむか,それを決めること,選択することさ.相手はヒイラギの杭を打ちこまれたくなければ,どんな手を使ってでも抵抗するだろう.それは彼の自由だ.どこまで行こうと,選択,選択なんだよ」・・・「これは大事なことだよ,ぼくたちは皆,やりたいことは,なんでも,自由に,やってかまわないんだ」
(佐宗鈴夫 訳)
なんてことを言います.

新訳のイリュージョンの表紙には複葉機の絵が描かれています.帰り道に家の近所の喫茶店に立ち寄りました.「粗食」なんてメニューのあるちょっと変わった喫茶店.前からよくいく喫茶店ではあるけれど,初めて入ったその喫茶店のトイレには,天井から小さな複葉機の模型がぶら下がっていました.「脳と仮想」を読んだ帰りに,「イリュージョン」を見つけて,さらに複葉機まで見せられてしまうと,
誰の人生にも起こるさまざまな出来事は,
すべて自らが招き寄せたものである.
それをどう処理するかは
本人が決めることだ.
という同じく「イリュージョン」に出てくる一節がリアルに感じられてきます.
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# by ntomomitsu | 2006-04-27 22:14

地球交響曲~GAIA SYMPHONY~

ブログでは書いたことがなかったけれど,地球交響曲という連作の映画があります.90年代の初めから作られていて,現在,第5番まで完成,第6番は撮影が完了し編集とのことです.映画と言えば,ロードショー公開⇒ビデオ/DVD発売⇒テレビ放映が普通のところ,この地球交響曲は自主上映や個人スポンサーで広がってきたものです.私は,あるところで,監督である龍村さんの著作を読んでその存在を知り,唯一,第4番だけ観たことがありました.

その地球交響曲の1~5番をまとめたDVD-BOXが発売になり,22日の土曜に手元に届きました.今(24日23時少し前)ちょうどテレビでは,NHKで立花隆さんのサイボーグの番組をやっています.ネットワーク社会の先には,脳を直接ネットワークに接続して情報発信するような世界が来る,なぁんて話をしています.地球交響曲は,ちょうどそれと対比したくなるような作品です(って言っても分かりにくいな).22日に,第1番だけ観ました.1つの種から1万以上の実をつけたトマトの話.生命には成長する力が備わっていて,それに対して限界を与えなければ無限に成長することができるという話.そして象の話.他の動物のために水場を整え,気候が厳しくなると真っ先に死んでしまうと言う象.世界で初めて宇宙空間で何もすることがなくなった(何かの修理を待ってたそうです)宇宙飛行士さんの話....ちょうど4月22日はEarth dayでした.第1番の最後には,このEarth dayの話題もちょっと出てきます.おぉ!これはシンクロニシティか,とも思いましたが,きっと龍村さんのちょっとした贈り物なのでしょう.

現在でも自主上映はあちこちで行われているので,観たことがない人はだまされたと思って1作だけでも観てみることをお勧めします.

地球交響曲 <ガイアシンフォニー> 公式ブログ
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# by ntomomitsu | 2006-04-24 22:58

9条どうでしょう (1)

というタイトルの本を読みました.
それを口にすると「多くの人が怒り出すことが確実であることば」が
脳裏に浮かぶと,それを口にせずにはいられない人々
(まえがきにかえて,より)
4人が
護憲・改憲の二種類の「原理主義」の
いずれにも回収されないような憲法論(同)
を書いた本だそうです.まえがきにかえて,を書かれているのは内田樹さん.4つの論考の最初も内田さんです.要約するのは困難なので,いくつか引用します.
憲法九条のリアリティは自衛隊に支えられており,自衛隊の正統性は憲法九条の「封印」によって担保されている.憲法九条と自衛隊がリアルに拮抗している限り,日本は世界でも例外的に安全な国でいられる‥.

よくインタビューで,「一言で言えば,どういうことですか」と要約を求める人がいるが,「話を簡単にしたがる人間」は総じて複雑な問題を長時間考察するだけの忍耐力を欠いた方であり,私はそんな人間を相手にしているほど暇ではない.
外交の基本は「リスク・ヘッジ」‥,話を簡単にするよりは話を複雑にする方が,‥確実にリスクはヘッジできる‥.

日本人が今まず行うべきことは,‥,憲法九条と自衛隊の無矛盾的並立を矛盾として苦しみ,それでもなお生きながらえてきたという動かしがたい事実を世界に告げることだと私は思うのである.

改憲の後に‥,「憲法九条さえなくなれば,日本は誇り高い自主防衛の国になれる」という六十年間嘘だとわかりながら自分にむかって告げ続けてきた嘘の決着をつけることを日本人は求められることになる.
こういう言い方はよくないかもしれないけど,素敵な文章を書く人だと思います.ご本人のブログでもプレミアム試写会のタイトルで紹介されています.
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# by ntomomitsu | 2006-04-18 23:28

茂木健一郎さんの講演

金曜日は茂木健一郎さんの講演を聴きにいきました.内容については,リンク先にて主催の慶応MCCの城取さんがまとめていらっしゃるので,そちらを見ていただいたほうがいいでしょう.更に詳しく知りたい人は,新潮新書からもうすぐ新刊として『ひらめき脳』という本が出るようなので,そちらを参照してください.私も買いました(ってことはもう店頭に並んでるところもあるということです).茂木さんというのは,最近テレビにもよく出られていて,有名人のようですが,私はあまりよく知りませんでした.アハ体験とか言うのをどこかの番組でちょっと見たことがあるくらいで..

講演のほうは,脳科学のお話であったはずが,自己啓発や人生論(大げさか?)にも通じていて,示唆に富んでいて面白かったです.そんな中,一番印象に残ったのは,脳というのは運動野と感覚野があるけれども,この2つは直接にはつながってなくて,行動として外に出して,それをどう感じるかを繰り返すことでしか,脳を鍛えていくことはできない,と言われていたことです.ブログを書く場合でも,書く自分とそれを読む自分がいます.exblogにはプレビュー機能がついているので(多分,他のブログにもついてるでしょう),ちょっと書いてはプレビューしてみて,を繰り返していますが,それでいいらしいということです.そうでなくて,例えば,ネットサーフィンしてたくさん読むけど,それを感想として書き出したりすることもなく,頭でいろいろ考えているだけでは,あまりよくない=脳が鍛えられないということなのかな,と自分で思いました.なんで印象に残ったって,ブログなんか書いててもしょうがないんじゃないか,と思うことがちょくちょくあるからです.そんな中,こういう話が聞けたので,ゾクッと鳥肌が立つ感覚もありました.自己啓発の本を読んでいても,読むだけでは駄目で,エクササイズを必ずやってください,というのが多くあります.自分の気持ちを書き出してみて,それと向かい合うことで,初めて進歩するんでしょうね.
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# by ntomomitsu | 2006-04-16 19:00

村上龍さん『盾 シールド』を読んだ

土曜夜10時のNHKの番組で,村上龍さんと美輪明宏さんがゲストで,龍さんの新作絵本『盾 シールド』を紹介していました.2人のトーク自体は,NHKの番組としては過激で,抗議の電話でも来てるんじゃないかなと思わせるような面白いものでした.

番組を見た次の日=日曜日,本を読んでみました.実は結構前に買ったのを,なんとなく読まずに放っておいたものです.人の中心はとても弱くて,シールドで守ってあげないといけない,そして,何をシールドとするか,についてのお話でした.

話の内容は結構よく分かりました.登場人物は2人出てきて,会社に勤めてリストラされてという方の人のストーリーは,何とも表面的と言う気はしましたが,絵本だからこんなもんなのでしょう.

ただ,私が思うのとは違っているところがありました.それは,人の中心は弱いものだという前提です.私は,人の中心はほんとは強いもので,それを無視して生きていると変な方向に行ってしまうような気がします.気がしますって言うよりも,いろいろ自分で感じたり,本を読んだりした中からそんな風に思うようになった次第です.宇宙のものすごく遠いところに行きたいと憧れるのと同じように,自分のものすごく内側にも,憧れの対象となりえるような何かがあって,でも,なかなかそこに行こうとも思わないし,行こうと思っても簡単にはたどりつけないのかもしれません.
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# by ntomomitsu | 2006-04-10 22:32