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脳と仮想,イリュージョン

茂木健一郎さんの講演を聞いた後,玄耕庵日乗さんにTBもいただいていた『脳と仮想』を読んでいます.私が見て感じる赤を,隣の人も同じように赤として感じているかは確かめようがない.目の前の現実として認識している机の上のコップも,視覚や触覚を通して感じられるだけで,それが本当に現実なのかは確かめようがない.過去も未来も同じように,記憶と言う脳の仕組に支えられた仮想に過ぎない...そういう前提をベースに本は進んでいきます.仮想はたった1リットルの脳の中の活動として起こるだけのものだという前提に立っているところは,まさに科学者ですが,それ以外は,哲学者のような宗教を語る人のような不思議な文章が続きます.

出張の新幹線,往復3時間ほど読み続けた後の帰りの本屋さんでは,私の好きなリチャード・バックの「イリュージョン」が新訳として出版されていました.「イリュージョン」はこの世のすべては光と影が織りなすイリュージョンであるなんてことをベースにしたファンタジーで,茂木さんの本と近いような遠いような.新訳には,リチャード・バック本人による前書きも載っていて,本人はこの本に書かれていることを本当のこととして信じていると書いています.ちょっと引いてみると,吸血鬼に血を吸われそうになって抵抗したリチャードに対して,救世主ドナルドは,
「・・・どんなことであれ,傷つくか傷つかないかは,本人が選択することだ.決めるのは本人なのさ.ほかの誰でもない.・・・苦しむのは,彼が決めること,彼が選択することなんだ.そのことできみにできるのは,血をあげるか,無視するか,縛り上げるか,ヒイラギの杭を彼の心臓に打ちこむか,それを決めること,選択することさ.相手はヒイラギの杭を打ちこまれたくなければ,どんな手を使ってでも抵抗するだろう.それは彼の自由だ.どこまで行こうと,選択,選択なんだよ」・・・「これは大事なことだよ,ぼくたちは皆,やりたいことは,なんでも,自由に,やってかまわないんだ」
(佐宗鈴夫 訳)
なんてことを言います.

新訳のイリュージョンの表紙には複葉機の絵が描かれています.帰り道に家の近所の喫茶店に立ち寄りました.「粗食」なんてメニューのあるちょっと変わった喫茶店.前からよくいく喫茶店ではあるけれど,初めて入ったその喫茶店のトイレには,天井から小さな複葉機の模型がぶら下がっていました.「脳と仮想」を読んだ帰りに,「イリュージョン」を見つけて,さらに複葉機まで見せられてしまうと,
誰の人生にも起こるさまざまな出来事は,
すべて自らが招き寄せたものである.
それをどう処理するかは
本人が決めることだ.
という同じく「イリュージョン」に出てくる一節がリアルに感じられてきます.
by ntomomitsu | 2006-04-27 22:14
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