平田オリザさんの講演を聞いて(夕学五十講)

演劇と私たちの生活がこれほど密接なものだとは思ってもみませんでした.演劇は,他者がどんな気持ちでいるのかを真剣に考えることの繰り返しだから,言われてみれば当たり前なのかもしれないけど,そういうことを平田さんはコンテクストのズレをすり合わせると表現されていました.
アメリカでは,演劇を学んだことはキャリアパスの一部になるけど,日本では,演劇なんか学んだら就職先がない....
夕学で講演を聞いた後,帰宅途中のジュンク堂で講演者の著書を検索して購入するのが習慣になっています.今日は,平田さんの『「リアル」だけが生き延びる』という本を購入してきました.まだ中身はほんのちょっとしか読んでいないけど,表紙に10行ほど書いてある中に,
「私とあなたとはこんなに違うけど,一つの共同体がつくれますか」.演劇をつくることは,自己と他者を峻別するこの問いから始まると著者はいう.
とあります.ものすごくグサッとくる言葉です.最近,失われた10年なんて言い方もされる中で,価値観や買いたい物もバラバラになってきました(昔は,炊飯器,冷蔵庫をみんなが一致して欲しがって,手に入れることで幸せになっていた).そういう中で,“すぐには”,“はじめからは”分かり合えないことを前提として,共通するものを見つけ,それを少しずつ広げていけるか,そんな姿勢への転換ができるかが,これからは重要というお話です.例えば,パレスチナやイラクの人の気持ちは分からなくても,分かろうと努力する姿勢,,,,なんだか靖国問題に絡む我が国首相の話を思い浮かべてしまいました.平田さんに,その辺りの質問もしてみたかったけど,講演主旨からは外れるので,やめときました.逆に,分かり合えることを前提にすると,キレイな話では歩けど,どういうことを考えているか分からない人を排除することにつながり,それは結局はムラ社会に戻ることになるということも話されていました.

コンテクストっていうのは文脈という意味ですが,平田さんが話されていたのは,もう少し深い意味で,その人がどんな意味でその言葉を使っているか,一人一人の個性が現れる部分,ということです.典型的に言えば,職場で上司と部下のコンテクストがずれている時に,上司が部下に対して「こんなことも分からないのか」なんてことを言うわけで,コンテクストのズレを,権力によって正邪・優劣・善悪の問題(もちろん上司が正しくて部下が間違っているという形)に変えてしまっている.何か問題があったときには,コンテクストのズレを念頭において=自分のコンテクストが理解されていないことを前提に,原因を追及する必要があるというお話でした.職場内の対話で言えば,上司が持っている権力を手放して,対話の場を作ることが対策の第一で,それを通してそのような対話の言語を生み出し作っていく必要があると言う話でした.自分の職場も思い浮かべつつ,納得.

質疑応答の時の回答で,こんな話もされていました.上司が対話の場を作ろうとしないような職場では,自分が変えようと背負い込まず,逃げていいんだと.自分がというのが強迫観念になってしまっては,対話も成り立たないからという理由だそうです.ではどうするかについては,本質を理解して,そういうことに敏感になればよい,という答えでした.肩のあたりが少し楽になるような,そんな言葉です..
講演について詳しくは,「夕学五十講」楽屋Blogにてどうぞ.
先月に聞いた茂木さんの脳のお話もそうだし,今日の平田さんの話もそうですが,全然違う分野の人のお話なのに,妙に根っこの部分がつながっていて,
またかよと自分に突っ込みつつ,以下引用で結びとしておきます.
左の人 右の人
ふとした場所できっと繋がってるから
片一方を裁けないよな
僕らは連鎖する生き物だよ
(Mr. Children "タガタメ" 詞:桜井和寿)

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by ntomomitsu | 2006-05-16 22:59
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